TOP PAGE 210万人死亡イメージ 木村盛世等
新型インフルエンザで重症者や死者が多い理由を図解する
番外編 新型フル患者分布地図 国立感染症研究







1918年の新型インフルエンザウイルス罹患患者の収容の様子…こんなことにはならないのでご安心ください

厚生労働省:新型インフルエンザ対策関連情報
http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou04/index.html

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江戸しぐさ 

江戸しぐさは日本における江戸期の商人の生活哲学・商人道。しぐさは仕草ではなく思草と表記する。もともと商人(あきんど)しぐさ、繁盛しぐさといわれ多岐にわたる項目が口伝により受け継がれたという。現代の世相に鑑み江戸人の知恵を今に生かそうという観点から教育界・宗教界の一部で注目され始めている。かつ、一部小中学校の道徳の時間にも取りあげる動きも広がっている。商家に伝わる門外不出の未公開の処世術あるいは、倫理観、道徳律、約束事ともいうべきものであろうが、未公開かつ口伝であったことから正確たる文書は現存せず芝三光(しば・みつあきら)(本名=小林和雄)とその後継者により普及されてきた。評論家の牛島靖彦によればそもそも商人(あきんど)しぐさを「江戸しぐさ」と命名したのは、芝三光であるという。

主なしぐさ
傘かしげ…雨の日に互いの傘を外側に傾け、ぬれないようにすれ違うこと
肩引き…道を歩いて、人とすれ違うとき左肩を路肩に寄せて歩くこと
時泥棒…断りなく相手を訪問し、または、約束の時間に遅れるなどで相手の時間を奪うのは重い罪にあたる
うかつあやまり…たとえば相手に自分の足が踏まれたときに、「すみません、こちらがうかつでした」と自分が謝ることで、その場の雰囲気をよく保つこと。
七三の道…道のど真ん中を歩くのではなく、自分が歩くのは道の3割にして、残りの7割は他の人のためにあけておくこと
こぶし腰浮かせ…乗合船などで後から来る人のためにこぶし一つ分腰を浮かせて席を作ること
  Wikipediaより引用・一部改編)

 咳エチケットがあまり普及しません。

 他人に対する思いやりの精神から、江戸しぐさは代々受け継がれてきたということです。

 咳エチケットも、咳作法として、江戸しぐさの一部として代々受け継がれてきたということです。

 しかし今の日本には、「自分さえ助かればいい」という「他人は関係ない」という雰囲気が強く漂っています。

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[ 2009/10/15 00:00 ] 過去のパンデミック事例 | TB(0) | CM(2)

1918年の日本での新型インフルエンザの精密分析報告 

日本におけるスペインかぜの精密分析
東京都健康安全研究センター年報,56巻,369-374 (2005)

新型インフルエンザは、過去(1918年)に日本でも発生しています。
今流行しているインフルエンザも昔は「新型」でした。

その流行分析がなされていたので紹介します。

流行分析【要約】
 「スペインかぜの1回目の流行は1918年8月下旬から9月上旬より始まり,10月上旬には全国に蔓延した。流行の拡大は急速で,11月には患者数,死亡者数とも最大に達した。2回目の流行は1919年10月下旬から始まり,1920年1月末が流行のピークと考えられ,いずれの時も大規模流行の期間は概ねピークの前後4週程度であった。この前後4週間という流行期間は,通常のインフルエンザ流行の場合と同じであった。」
Photo  この報告のすごいところは、「内務省衛生局:流行性感冒,1922,内務省衛生局,東京」という資料を分析しているところです。現代のインターネット社会の中で、ここ10年くらいのニュースについては簡単にインターネットで調べることができる時代になりましたが、1922年の資料を電子媒体で調査することはできません。人間はきっとこれまでに同じ歴史を繰り返していますが、概して100年以上前のことまでは考慮しないことが多く、その結果「歴史は繰り返す」のだと思います。

[ 2008/07/20 00:00 ] 過去のパンデミック事例 | TB(0) | CM(2)

江戸時代の新型インフルエンザ 

慶長19年(1614年)9月 畿内ほかで風疾(インフルエンザ)流行
元和2年(1616年)10月 麻疹(ましん)流行

 現在、国立公文書館で「病と医療 - 江戸から明治へ - 」という特別展が開かれています(2008年4月24日まで開催)。

   驚くべきことですが、江戸時代の感染症などの流行動向の記録が、詳細に残されています。歴史上、疫病や飢饉が人々の生命、生活を脅かす時代が繰り返されてきたことから、時の為政者はその動向や治療に関する記録を残すのに熱心だったようです。「妙法寺記」「見聞集」などの公文書が展示されています。

 「養生訓」や「重訂解体新書」など、歴史の教科書にも登場する有名な書物も展示してあります。「養生訓」を貝原益軒が著述したのは84歳のときとされています。自ら養生訓を実践したことが、長寿につながったのかもしれません。

   江戸時代には、ワクチンも、タミフルも防護服もありませんが、インフルエンザ(当時にすれば現在の新型インフルエンザに相当)などの新たな感染症が発生したことは明らかですが、被害は大きかったものの、日本国が滅亡したわけではなく、現在まで日本という国は存在し続けています。明日、新型インフルエンザが発生しても、人類が滅亡するわけではなく、またそれも自然の摂理であると考えるのは世の中を達観しすぎなのでしょうか。歴史に思いをめぐらすとともに、現代の医療はいかに記録され、数百年後、どのように検証されるのかと想像せずにはいられません。

[ 2008/04/09 00:00 ] 過去のパンデミック事例 | TB(0) | CM(1)









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