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厚生労働省:新型インフルエンザ対策関連情報
http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou04/index.html

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厚生労働省 健康局 結核感染症課の梅田珠実課長の略歴 

 平成20年7月16日付で、梅田珠実(うめだたまみ)氏が新たに厚生労働省健康局結核感染症課長になりました。(写真は平成9年の国立感染症研究所国際協力室室長の頃なので、かなり若い!)
 そこで、梅田珠実氏の略歴を調べてみました。

昭和60年3月 筑波大学医学部卒業
昭和60年4月 厚生省入省
平成2年7月 文部省入省
平成4年7月 世界保健機構(ジュネーブ本部)
(平成9年頃) 国立感染症研究所 国際協力室 室長
  厚生省大臣官房厚生科学課課長補佐
平成12年8月 神戸市(保健福祉局 神戸医療産業都市構想・健康づくり担当 参事)
健康局疾病対策課長を経て、平成20年7月16日より健康局結核感染症課長

以下の通り、何故厚生省(当時)に入省したのかを記載してあります。
http://www.tsukuba.ac.jp/public/booklets/forum/pdf-forum/30th_special/fourth.pdf
 この文章から、新課長の想いを汲み取りましょう。

umeda.jpg 筑波大学から羽ばたいて
広く社会を知ること
-Newcastleでの学外実習-

はじめに
 医学を志したのは、医師という職業に就こうと考えたからである。筑波大学を選ん だのは、ほとんどの学生が親元を離れ、学内の宿舎で生活する点に心惹かれたことが きっかけだったと思う。基礎・臨床・社会医学が統合されたカリキュラムや問題解決 型の講義など、筑波大学医学専門学群が特色ある医学教育を行っていることを、実は 入学するまで知らなかった。医師になるというゴールが同じである以上、学ぶ環境の 差はあっても、学ぶ内容に大差はないだろうとしか思っていなかったのである。とこ ろが、事実はそうではなかった。もし筑波大学で学んでいなければ、私は今と異なる 道を歩んでいたことと思う。否、筑波大学で学んだことで別の道が開けたと言うべき かもしれない。何故なら、医師免許は取得したものの、臨床医の仕事には就かず、厚 生行政の世界に身をおくことになかったからである。

学外実習の経緯
5 年次も終わりに近づいた頃、オーストラリアNewcastle大学での実習希望者が募 られた。6年次の4月~6月は、前年1年かけて付属病院各科をローテーションした後、 学外の病院等を数箇所回って実習する期間だったが、初めて海外実習の機会が与え られ、単位としても認められることになったのである。それ以前にNewcastle 大学の 医学生が私たちの学年で学ぶなど交流があり、先方の教授と懇意であられた堀原一教 授(当時)のご尽力でNewcastle 大学との交換留学が実現した。希望者の面接は、当 時学群長をされていた阿南功一先生と、有志の英会話クラスを指導しておられた講師 のVictor 先生によって行われた。なぜ海外で実習したいのか動機を問われ、直前にひ らめいた「日本とは異なる医療制度を知り たいから」という理由を述べた。最終的に、 柳沢正史君と私の2 名が留学できることと なった。

斬新な医学教育
 オーストラリアの医学部は5 年制のため、私たちは最終学年である5 年生とともに学 んだ。半日シリーズの病院実習は、前年筑波大学で経験したものと大きな相違はな かった。一方、講義はというと、週にたった1日だけだった。Newcastle大学では、「講 義をしない医学教育」と形容されるように、学生の自己学習に力点が置かれている。例 えば、1人ずつ与えられる仮想症例について、48 時間以内に診断、治療計画、その疾患や 関連臓器系の基礎・臨床医学、社会医学等を網羅するレポート作成や口頭試問が課せ られていた。このため学生は、最新の文献にも目を通す必要があり、「自ら学ぶ」こと がよく訓練されていた。時折、基本的な疾 患や病態を知らない学生もいて、重要な知 識は必ず講義で教えられてきた私にとって は驚きだったが、新しい知識を受身で覚え るのではなく、主体的に疑問の答を探しな がら吸収していく様子は、1年次からの自己 学習で培われたものと思われた。
 週1 度の講義は授業というより討論会の ようなもので、学生による症例発表に始ま り、それと関連して教官から学生たちへの 問いかけ、学生たちから教官への質問のや りとりが主だった。臨床医学のみならず、 基礎医学、社会医学の教官も同時に講義室 に現れ、同じテーマを複数の専門家が多面 的に掘り下げていった。
 筑波大学のカリキュラムも、診療科講座 別ではなく、症状徴候ごとの問題解決型の 教育方法に特徴があり、また、5 年次には学 生が症例を発表し教官が解説する形態の講 義が多かったため、Newcastle 大学の講義 に違和感はなかった。しかし、筑波大学よ りさらに革新的な教育方法や自己学習中心 の取組みがあることに驚いた。

GPクリニック実習
 もう1 つ印象に残ったのは、GP(General Practitioner:一般医)のもとでの実習で ある。病院実習は留学期間の前半に終了し、 学生たちは卒業試験に忙しく、その対象と ならない私は週に1 度の講義以外すること がなくなった。そこで、現地の医学生にとっ て必須であるGP クリニックでの実習をさ せてもらうことになった。オーストラリア では、すべての患者(一部救急を除く)は GP を受診する。GP はあらゆる症状・性・ 年齢の患者の診療を行い、患者の生活環境 や職業も踏まえて、丹念に問診し、時間を かけて説明・指導する。専門治療が必要な 場合の判断や、適切な病院に照会すること もGP の重要な役割である。当時日本では、 重症・軽症を問わずあらゆる患者が大病院 を受診する、いわゆる「3時間待ちの3分診 療」がよく問題にされていたので、プライ マリケアと専門医療の機能分担・連携がさ れている制度に感心した。
 また、私には5 年次の筑波での病院実習 で心にひっかかっていたものがあった。外 科で担当させてもらった高齢の患者さんが、 手術後意識も戻らぬまま亡くなったことで ある。人の死をどう受けとめてよいかわか らなかった未熟な私は、ひどく動揺した。 患者さん本人が、どの程度手術のリスクを 理解して同意していたのか懐疑的になり、 また最期の時を機械に囲まれて終えること も非人間的に感じていた。もちろん大学病 院は高度医療を担う機関であり、一般病院 や診療所などを含む日本の医療全体の中で は特殊な存在であると言えるが、大学病院 での印象が強烈だったために、オーストラ リアのGP のもとで提供される全人的な医 療とそれを担保する医療制度がことさら強 く印象に残った。

帰国後の出会い
 帰国後、同級生とは別に口頭試問を受け ることになったが、何を試験されるか見当 がつかなかった。私の試験の担当は、当時 社会医学系教授であられた小町善男先生 だった。先生は「海外に行ったならその国 の保健医療システムを学んでいないと意 味がない」と思われたそうで、厳しい質問 をされたが、私はむしろ我が意を得たりと オーストラリアのプライマリケアシステム について述べた。その時をきっかけに、小 町先生の門下の一員に加えていただき、厚 生行政における科学的根拠に基づく政策の あり方を学ばせていただいている。
その夏開催された医学教育学会で、留学 の際お世話になった堀先生のご講演があり、 先生の持ち時間の一部でNewcastle大学で の経験を発表するよう言われて学会に参加 した。そこでプライマリケア教育が、医学 教育の中でも重要な課題となっていること を知り、プライマリケアを推進している厚 生省の担当官にも会う機会を得た。その頃 の私は、卒後の進路が専門領域ごとに細分 化されていることに違和感をおぼえつつも、 オーストラリアで見たようなGP をめざし て、まずは大学の内科に進もうと考えてい た。一方で、厚生省が家庭医の制度を検討 していることに関心を持ち、前述の担当官 と知り合ったことがきっかけで霞が関での 勉強会などを傍聴させてもらうことになっ た。厚生省で話を聞くうちに、自分がGPに なるよりも、GP のような制度をつくる側の 仕事にいつしか興味が移っていった。
厚生省受験を決めた後、当時社会医学系 教授の紀伊国献三先生に話を聞いた。国際 的な行政機関であるWHOの仕事も重要と 言われたが、このときは後に自分がWHO に出向することになるとは思いもよらな かった。紀伊国先生には、WHO会議で先生 がジュネーブに来られるたびにお世話にな るなど、国際協力について多くのご教示を いただいた。

おわりに
 以上述べた、海外実習と帰国後の出会い が転機となって、ごく自然に臨床医ではな く行政官への道を進むこととなった。同時 期に国内で実習した同級生もまた、様々な 病院での経験と筑波大学の先生方の助言を 吸収しながら、進路を選択し職業観を身に 付けていったものと思う。さらに私たちの 後も、後輩たちが海外での実習を経験して いる。大学生という20代の頭のやわらかい 時期に、広い視野を与えられ経験を広げる ことは、きわめて重要であると思う。
 個々の国の医療は、その国の歴史、国民 性、社会制度と密接な関係があり、社会の 変化とともに変遷していく。社会の中での 医療のあり方、医療人として社会とのかか わりを考えることは、私のように行政の職 についた者のみならず、臨床や研究職にお いても益々不可欠となっているように思う。 医師になってからではなく、医学生の頃か ら医療をめぐる様々な課題に触れること (early exposure)が必要と考える。
 最後になったが、海外実習をカリキュラ ムとして認め、その実施・継続に尽力され た、故阿南功一先生、澤口重徳先生、堀原 一先生に心より感謝の意を表したい。初め ての試みであったため、責任者として恐ら くいろいろなご心配をいただいたものと 思う。当時の私は、そのようなことに思い も至らず、好奇心いっぱいに動き回り、無 謀な旅もして帰国した。おかげで、外国生 活や言葉が通じないことにさほど動じなく なったことは、厚生省入省後の英国留学や WHO勤務の際にも大いに役立った。
(うめだ たまみ)

 この新課長に大いに期待しましょう(言葉とは裏腹に、実はあんまり期待してません)。

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[ 2008/07/24 00:00 ] 厚生労働省 | TB(0) | CM(0)

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